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金崎宮の桜と花換まつり【2024】見頃や夜桜のライトアップに福娘とアクセスや駐車場など詳細はコチラ

この地は、過去には南北朝時代織田信長の朝倉討伐戦など、数々の歴史的な戦いが繰り広げられた場所であり、「日本の歴史的公園100選」にも選ばれていることで知られています。


春には約400本の美しい桜が花開き、その桜並木からは壮大な日本海の景色を楽しむことができる、人気のお花見スポットです。



また、神社では毎年「花換祭」という独特の行事が行われており、参拝者が桜の造花を新しいものに交換しながら幸福を祈願する風習があります。


この場所はかつて金ヶ崎城があった場所であり、現在は市民の憩いの公園として親しまれています。

金崎宮の桜2024開花状況や見ごろの時期いつ?

金崎宮周辺には約400本のソメイヨシノが植えられており、この地域を福井県内で桜を愛でる際の人気スポットとして位置づけています。


この神社の桜は、通常3月の終わりから4月の半ばにかけて最も美しい姿を見せることで知られています。


2024年に関して言えば、桜の花が開くのが少し遅れており、3月最終にはまだ開花の初期段階にありました。


このように花が開く速度を考慮すると、今年の桜が最高の状態になるのは4月の初め頃と予測されます。

●五分咲き
4月4日

●満開
4月9日

●桜吹雪
4月14日


最新の開花状況を確認する>>

金崎宮花換まつり2024いつから?時間や場所など基本情報

金崎宮花換まつり2024の開催概要は以下となります。

【開催期間】
2024年3月30日(土曜日)~4月9日(火曜日)

【場所】
金崎宮
福井県敦賀市金ヶ崎町1-1

金崎宮花換まつり2024夜桜のライトアップあるの?

あります。日程や時間は以下となります。

【夜桜ライトアップ期間】
2024年3月30日(土曜日)~4月9日(火曜日)

【夜桜ライトアップ期間】
午後6時00分~午後10時00分

金崎宮花換まつり2024イベント内容

■3月30日(土)~4月7日(日)
10:00~16:00
日光さる軍団の「伝統芸能猿回し公演」

■3月30日(土)
●9:00~
福娘初日祭
●10:00~
オープニングセレモニー 郷土太鼓伝承会による太鼓演奏・餅まき等
●18:00~
フリーアナウンサー福田布貴子氏による朗読舞台 「太平記が語る恋の宮金崎宮・尊良親王恋物語
●19:00~
初となる夜の花換神事

■3月31日(日)
●「花田欣也さんと歩く!敦賀港線跡廃線ウォーク」
●11:00~12:00
「花換婚の儀」
●13:00~14:00
すみれ会による大正琴演奏
●14:00
本殿祭
●バルーンパフォーマンス

フリーアナウンサー 福田布貴子氏による朗読舞台
3月30日(土) 18:00~
太平記が語る恋の宮金崎宮・尊良親王恋物語

3月30日(土) 19:00~
初となる夜の花換神事を開催

■花田欣也さんと歩く!敦賀港線跡廃線ウォーク
3月31日(日)
●参加料3,000円(保険代含む)
●①午前10時~11時/②午後13時~14時
●各回20名※要事前申し込み(応募者多数の場合は抽選)
敦賀観光協会まで電話またはメールにて申し込み

■花換婚の儀
3月31日(日)
11:00~12:00
昨年開催した世界的ブライダルデザイナー桂由美氏のブライダルショーから繋がる、金崎宮初となる模擬結婚式を開催します。

■4月6日(土)
●10:00~16:00
恋の花換市・和服レンタル着付け
●10:00~16:00
缶バッヂ作成コーナー(原子力研究開発機構)
●11:00~16:00
花換茶会(敦賀市文化協会)
●13:00~14:00
ひょっとこ踊り(ひょっとこ踊り敦賀福笑会)

■4月7日(日)
●10:00~
第35回花換祭俳句大会
●10:00~16:00
花換縁結び 縁結びのおまつりで見つける素敵なご縁
●11:00~12:00
スコップ三味線演奏(敦賀スコップサウンズ)
●13:00~14:30
尺八と琴演奏(沢井筝曲院久韻の会・つるが都山流尺八)
パフォーマーかつやによるパフォーマンス

イベントの詳細はコチラ>>

金崎宮花換まつり2024アクセス

【場所】
金崎宮
福井県敦賀市金ヶ崎町1-1



【電車】
JR敦賀駅より、ぐるっと敦賀周遊バス18分
「金崎宮口」で下車し、そこから徒歩で約10分

【車】
北陸自動車道敦賀インター」より、車で10分

金崎宮花換まつり2024駐車場

金崎宮にも駐車場がありますが、20台しか駐車できません。


臨時駐車場が用意されるので紹介します。


金崎宮から徒歩5分程度です。

【きらめきみなと館(土日のみ)】
福井県敦賀市桜町1-1

金崎宮の歴史

1336年10月、後醍醐天皇新田義貞に指示を出し、尊良親王恒良親王を伴って北陸地方への進出を命じました。


彼らは、氣比神宮の神主家である気比家の当主に迎えられ、金ヶ崎城を守備の拠点としました。


しかし、この城は足利軍による攻撃の対象となり、高師泰将軍が指揮する6万を超える兵力で海陸から包囲されました。


1337年の初頭には、杣山城から駆けつけた瓜生保らの援軍もあったものの、助けとはならず、同年3月6日には金ヶ崎城は陥落し、尊良親王新田義貞の息子を含む300人以上の武士が命を落としたとされています。


恒良親王は当初、気比家の一員によって脱出することに成功しましたが、後に捕捉され、1338年4月13日に毒を与えられて亡くなりました。享年15歳と伝えられています。


後醍醐天皇の最初の皇子であり、母は二条為子です。二条家は和歌に関わりが深く、親王自身も詩歌に優れていたと言われています。


1327年、親王中務卿に任命され、1331年の鎌倉幕府を倒すための元弘の乱では、土佐へ流されました。


1333年には土佐から脱出し、肥前で兵を挙げ、九州の反幕府勢力を統率したことで知られています。


足利尊氏の討伐では、新田義貞らと共に東国へと向かいました。


金ヶ崎での壮絶な最期は「太平記」に記録されており、その場所には「自刃見込地」と刻まれた石碑があります。


後醍醐天皇の最愛の妃、阿野廉子が母で、1334年には13歳で皇太子となりました。


1336年、尊良親王新田義貞らと共に北陸へ向かい、翌年金ヶ崎城が陥落した後、脱出に成功しますが、足利軍によって捕らえられ、後に京都で拘禁され、毒殺されました。


皇位を譲られたとされるのは、北陸に下る直前のことでした。


源義家の三男、義国を先祖に持ち、義国は下野国(現在の栃木県)の足利へ移住しました。


義国の息子たちのうち、長男の義重は上野国(現在の群馬県)の新田に移住し、新田氏の始祖となりました。


一方で、その弟の義康は足利に残り、足利氏を名乗りました。

 

どちらもその地位を確固たるものとしていましたが、新田氏は鎌倉政権下での扱いは冷遇されていたのが実状でした。

花換まつりの福娘

花換まつり福娘は神様と参拝者との仲を取り持つ方なので、福娘との交換は神様との交換です。


福娘と交換する前に神様への願い事を『桜の小枝』(願い事は恋だけではありません夫々の願いを込めましょう)に託します。

金崎宮の桜と花換まつり2024

ロマンティックなお祭りと美しい桜を楽しめます。


少し足をのばして、遊びに行くことをオススメします。